董皇后(とうこうごう、? - 352年以降)は、冉魏の皇帝冉閔の皇后。

董皇后
冉魏の皇后
在位 350年 - 352年

死去 352年以降
配偶者 冉閔
子女 冉智
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生涯

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後趙の武徳王石閔(後の冉閔)に嫁ぎ、正室となった。

350年3月、冉閔が後趙から自立して大魏を建国すると、董氏は皇后に立てられた。

352年4月、冉閔は前燕の輔国将軍慕容恪に敗れて捕らえられ、やがて処刑された。同月、前燕軍がを包囲すると、皇太子冉智は籠城して徹底抗戦の構えを見せたが、8月に陥落した。

董氏皇后は冉智・太尉申鍾司空條枚・中書監聶熊司隷校尉籍羆中書令李垣を始めとした諸王公卿士らと共に捕らえられ、乗輿・服御と併せて薊へ送られた。

前燕皇帝慕容儁は事業の神格化を図る為、董皇后から伝国璽を献上したと嘘の宣言を行い(実際は既に東晋に渡ってしまっている)、暦運が自らに在る事を示した。これにより、董皇后は贈璽君に封じられた。その後の動向は不明である。

伝記資料

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