董璜

後漢時代末期の武将

董 璜(とう こう、? - 初平3年(192年)4月)は、中国後漢時代末期の武将。本貫涼州隴西郡臨洮県。父は董擢[1]

事績

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初平2年(191年)、叔父の董卓太師の位にまで昇り、後漢の大権を掌握する。一族は揃ってその朝廷に連なり、董璜は侍中・中軍校尉となって、軍を統率した[2]

同時期、董卓の孫娘で15歳にも至らぬ董白も渭陽君に封爵されたが、董璜はその使者となって彼女に印綬を授けている。

初平3年(192年)4月、董卓が王允呂布らによって暗殺される。董璜ら一族は郿の地にいたが、部下の反逆に遭い、全員ことごとく殺害された。

羅貫中の小説『三国志演義』でも、史実に準じた立場で登場。董卓政権の一翼を担うが、最期は皇甫嵩によって斬首刑に処される(第9回)[3]

出典

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脚注

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  1. ^ 直接の言及はないが、『三国志』董卓伝によると董璜は、董卓の兄の子。その注に引く『英雄記』で兄の名を董擢とする。
  2. ^ 范曄後漢書』董卓伝 s:zh:後漢書/卷72
  3. ^ s:zh:三國演義/第009回