旧葛城館(きゅうかつらぎかん)は、和歌山県橋本市高野口町名倉1053にある旅館建築[1]JR和歌山線高野口駅前にある。現存する木造3階建ての建築物としては古いものとされる[3]。旅館として営業していた頃の名称は葛城館(かつらぎかん)。

旧葛城館
旧葛城館の位置(和歌山県内)
旧葛城館
情報
構造形式 木造、瓦葺[1]
敷地面積 113 m² [1]
延床面積 323 m² [2]
階数 3階建[1]
竣工 明治後期
所在地 和歌山県橋本市高野口町名倉1053
座標 北緯34度18分26.6秒 東経135度33分25.3秒 / 北緯34.307389度 東経135.557028度 / 34.307389; 135.557028 (旧葛城館)座標: 北緯34度18分26.6秒 東経135度33分25.3秒 / 北緯34.307389度 東経135.557028度 / 34.307389; 135.557028 (旧葛城館)
文化財 登録有形文化財
指定・登録等日 2001年11月20日[1]
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地図
地図

歴史

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1901年(明治34年)には紀和鉄道名倉駅(現・JR和歌山線高野口駅)が開業し、1903年(明治36年)には高野口駅に改称した[4]。高野口駅は高野山参詣の拠点となり、駅前には十数軒の旅館が立ち並んだとされる[4]。葛城館が開業した時期や建物の建築時期は定かでないが、名倉駅開業後の明治時代後期と推定されている[4]。設計者は不詳。1925年(大正14年)には南海鉄道(現・南海電鉄)がより高野山に近い路線(現・南海高野線)を開業させ、高野口駅の参詣拠点としての地位は薄れていった[4]

1993年(平成5年)から1994年(平成6年)頃までは宴会場として使用されていたが[5]、1994年(平成6年)に営業を終えて休業した[2]。2001年(平成13年)11月20日に国の登録有形文化財に登録された[1]。建物の老朽化が進行したことから、2012年度(平成24年度)には総工費約3100万円(うち国の補助金170万円)が投じられて保存修理が行われた[2]。2015年秋には芸術祭「WAKAYAMA SALONE 2015」(ワカヤマサローネ)の会場の一つとなった[3]

 
葛城館も見える明治末期の高野口駅

建築

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建物は明治時代後期建築の木造3階建てで、行5半、間5間規模、東西棟、入母屋造、桟瓦葺[1]。正面及び東側面には板葺のを各階に廻し、屋根正面には瓦葺き千鳥破風と銅板葺の唐破風を重ねる[1]。正面にはふんだんにガラスが使われている[3]

高野山口駅が高野山への参詣拠点として栄えていた時代、1907年(明治40年)には235台、1913年(大正2年)には283台もの人力車が駅前に待機していたとされる[2]。1993年(平成5年)には高野口町が当時を模した人力車を製作し、葛城館の1階に常設展示した[2]。2012年(平成24年)に葛城館の保存修理が行われた際、人力車は橋本市産業文化会館「アザレア」に移されている[2]

 
2階の和室廊下

ギャラリー

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周辺施設

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脚注

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  1. ^ a b c d e f g h 旧葛城館 - 文化遺産オンライン文化庁
  2. ^ a b c d e f 明治の〝葛城館〟平成の大修復へ…人力車移動 橋本新聞、2012年4月5日
  3. ^ a b c 和歌山で芸術祭「ワカヤマサローネ」歴史的建造物を会場に 和歌山経済新聞、2015年8月6日
  4. ^ a b c d 旧葛城館 橋本市
  5. ^ 国登録有形文化財 旧葛城館」『会報誌きのくに』和歌山県建築士会、2011年9月号
  6. ^ 江戸火消しは宿の常連客だった。

外部リンク

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