葛井王(ふじいおう、生没年不詳)は、奈良時代から平安時代初期にかけての皇族。位階は従四位下。
桓武朝前半の延暦8年(789年)无位から従五位下に直叙される。延暦19年(800年)早良親王が崇道天皇と追諡され、井上内親王が皇后に復された際、井上内親王の陵に派遣されて、皇后復位のことを報告している[1]。
平城朝の大同3年(808年)約20年ぶりに昇進して従五位上に叙せられる。
弘仁8年(817年)正五位下に叙せられると、弘仁10年(819年)正五位上、弘仁11年(820年)従四位下と嵯峨朝後半に昇進を果たした。
『六国史』による。