葉室頼子
江戸時代の女官。光格天皇の典侍。従四位上。子に礼仁親王(1790.7.13-1791.7.2、長男、哲宮、寿賀宮、宝鈴院宮)、能布宮(1792.10.24-1793.6.17、長女、寿賀宮、蓮體院宮)、俊宮(1793.10.6-1795.1.24
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この項目では、光格天皇の典侍について説明しています。花園天皇の典侍については「葉室頼子 (花園天皇典侍)」をご覧ください。 |
葉室 頼子(はむろ よりこ、1773年(安永2年) - 1846年2月11日(弘化3年1月16日))は、光格天皇の典侍。父は権大納言の葉室頼煕。法号は厚淳院。
光格天皇の典侍となり、礼仁親王,ついで2皇子(礼仁親王・俊宮)と1皇女(能布宮)を生むも、いずれも夭折する[1]。後に民部卿典侍と称し、光格天皇の養子である承真法親王と尊宝法親王の養母となった[2]。
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