萩原久雄
萩原 久雄は日本の技術者、実業家。
はぎわら ひさお 萩原 久雄 | |
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国籍 | 日本 |
職業 | 実業家、技術者 |
著名な実績 | ヘリコプターの開発 |
活動拠点 | 東京都深川自由航空研究所 |
来歴
編集サンフランシスコ講和条約締結後、自由航空研究所を設立して1952年から1959年までにJHX-1からJHX-4まで4機のヘリコプターを試作したが数mの浮上にとどまった[1]。翼端噴流式とよばれる回転翼の翼端にラムジェットを備える機構だった。他にエアカー(ホバークラフト)を試作した[2]。 またJHX-5も製造された記録がある[3]。
自由航空研究所
編集その他の製作物
編集カメカゼ・オーバー・カー
編集- 動力:米軍払い下げの発電用2サイクル6馬力エンジン
- 重量:60 kg
- 乗員:1名
- 全長:2.4 m
- 全幅:1.2 m
- 全高:1.0 m
RC-1
編集1965年春に製作された、二重反転式ローターを備える無人ヘリコプター[5]。
- 自重:75kg
- 全備重量:125kg
- エンジン:マッカラー製(12.5 hp) × 2
脚注
編集- ^ “わが国ヘリコプター黎明期の試み”. 2019年1月2日閲覧。
- ^ “『車のない車』の登場 ―オモチャか実用品か―”. 週刊新潮 .
- ^ “1959年西武池袋本店のヘリポート 西武スカイステーション開港”. 2019年1月2日閲覧。
- ^ “萩原久雄さん設計のラムジェットヘリコプタ”. 2019年1月2日閲覧。
- ^ 『世界の翼 1966年版』朝日新聞社、1965年、118頁。全国書誌番号:56013953。
参考文献
編集- <年譜>日本のヘリコプター半世紀(1945~50年代) - ウェイバックマシン(2002年12月20日アーカイブ分) - 日本ヘリコプタ技術協会公式サイト。
- わが国ヘリコプター黎明期の試み - ウェイバックマシン(2015年4月9日アーカイブ分) - Aviation Now/航空の現代(日本航空宇宙学会主催「第37回飛行機シンポジウム」講演草稿の再録)。