菊池五山 (寺格)
肥後国菊池における禅宗の寺格
概要
編集征西将軍懐良親王の命により、菊池氏第15代菊池武光が、京都五山にならって定めたとされる[1]。五山の上には熊耳山正観寺が置かれた[2]。
菊池五山は、菊池氏の繁栄と共に栄えたが、菊池氏が衰退すると寺勢も衰えたという[3]。
菊池五山
編集- 輪足山 東福寺
- 無量山 西福寺
- 手水山 南福寺
- 袈裟尾山 北福寺
- 九儀山 大琳寺
脚注
編集- ^ 『国史大辞典4』49頁、『日本古代中世人名辞典』253頁、『肥後文献叢書 第3巻』536-546頁、『菊池自慢 一名・菊池案内記』7-8頁、『菊池余芳』27-28頁、『菊池忠誠史』76-78頁
- ^ 『国史大辞典4』49頁、『日本古代中世人名辞典』253頁
- ^ a b 『熊本県大百科事典』185頁
参考文献
編集- 国史大辞典編集委員会編『国史大辞典 第4巻』(吉川弘文館,1984)
- 平野邦雄ほか編『日本古代中世人名辞典』(吉川弘文館,2006)
- 熊本日日新聞社熊本県大百科事典編集委員会編『熊本県大百科事典』(熊本日日新聞社,1982)
- 「菊池風土記 巻4」武藤厳男ら編『肥後文献叢書 第3巻』(隆文館,1910)536-543頁
- 高橋小太郎『菊池自慢 一名・菊池案内記』(高橋小太郎,1915) 8-9頁
- 水曜会編『菊池余芳』(文明堂書店,1915)27頁
- 『菊池忠誠史』(熊本県立菊池高等女学校々友会,1939)77頁