菅野 高松(すがの の たかまつ、生没年不詳)は、平安時代前期の貴族。姓は朝臣。官位は従五位上・玄蕃頭。
貞観元年(859年)左大史の官職にあったが、清和天皇の大嘗会にて大内記・高階菅根とともに装束司判官を務め、大嘗会終了に際して揃って外従五位下に叙せられた。
貞観3年(861年)正月に紀伊介に任ぜられるが、2月に越中介に転じる。貞観9年(867年)内位の従五位下に叙せられるとともに紀伊介に任ぜられ、再び地方官を務めた。
貞観19年(877年)陽成天皇の即位に伴う叙位にて従五位上に昇叙され、元慶8年(884年)には玄蕃頭に任ぜられている。
『日本三代実録』による。