荘公(そうこう、生年不詳 - 紀元前658年)は、君主桓侯の子で、その後を受けて燕国の君主となった。紀元前675年(荘公16年)、とともに恵王を攻撃し、恵王は温に逃亡した。恵王の叔父の王子頽が周王に立てられた。紀元前664年(荘公27年)、山戎が燕に侵入すると、荘公はに救援を求めた。斉の桓公は援軍を発して燕を救い、山戎を撃破して、孤竹まで追撃した。斉の桓公が帰国するにあたって、荘公は桓公を見送りに出て、国境を越えてしまった。桓公はそこで荘公の入り込んだ50里の地を燕に割譲した。紀元前658年(荘公33年)、荘公は死去した。

荘公
王朝
在位期間 前691年 - 前658年
諡号 荘公
没年 紀元前658年
桓侯

参考文献

編集
先代
桓侯
の君主
紀元前691年 - 紀元前658年
次代
襄公