荒角 金太郎(あらかど きんたろう、生年不明 - 1882年明治15年)9月21日)は、相模国大住郡(現在の神奈川県厚木市[1] 出身で桐山部屋に所属した力士。本名は諸星 金太郎(後に二枚鑑札となった時に、桐山と改姓)。身長・体重は不明。最高位は西前頭3枚目。

経歴

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荒井嵜繁藏(8代桐山)の養子として、1865年11月場所で初土俵(序ノ口)を踏む[1]1874年3月場所に西十両7枚目(十枚目格)に昇進。その後、十両で長く燻っていたが1879年6月場所に新入幕を果たした。その場所は東前頭8枚目で6勝1敗1休2預の優勝同点[1][2] の好成績を挙げた。餅肌の美男で人気が高かったと伝わる。1882年1月場所に9代桐山となり、二枚鑑札となった。この頃から体調を崩すようになり、同年6月場所を全休[1]、そして9月21日新潟県での巡業中に急死した[3]。この年の秋巡業では、2日前の9月19日にも盛岡荒虎敬之助(6代若藤)が急死しているだけに、相次ぐ現役力士の死去に角界には衝撃が走ったと伝わる。

主な成績

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  • 幕内成績:16勝16敗11分5預22休 勝率.500
  • 幕内在位:7場所

改名歴

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  • 昇山
  • 荒角 金太郎(あらかど きんたろう)1874年3月場所 - 1881年5月場所
  • 桐山 金太郎(きりやま きんたろう)1882年1月場所 - 1882年6月場所

[1]

出典

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  1. ^ a b c d e http://sumodb.sumogames.de/Rikishi.aspx?r=3458&l=j
  2. ^ 若嶌久三郎(当時西関脇。後に大関に昇進)が6勝0敗1休2分1預で優勝相当成績。他に阿武松和助(後の雷電震右エ門。当時東小結で、大関に昇進した)が6勝1敗2休1預の優勝同点だった。
  3. ^ 古今大相撲事典(ISBN 978-4336018786

関連項目

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