荒木田 経雅(あらきだ つねただ、1742年[1]10月2日(寛保2年9月4日)- 1805年4月12日(文化2年3月13日))は、江戸時代中期から後期の神職、国学者である。本姓は中川。通称は岩五郎、豊後等がある。
伊勢神宮の内宮の禰宜であった中川経正の子として生まれる[2]。1773年(安永2年)に父の後継として伊勢内宮の禰宜に叙せられ、荒木田氏に改姓する。神道における慣習を基にした著書を多く出版した。
後に本居宣長と親交を持ち門人となり、国学や和歌を学ぶ。この業績により、従三位に叙せられた。