荒木田 左馬之助(あらきだ さまのすけ、天保9年(1838年)頃 - 文久3年9月26日(1863年11月7日))は、新選組隊士(国事探偵方)。左馬之允、左馬之亮とも。
御倉伊勢武などと共に、長州藩の桂小五郎の命を受けて、スパイのため新選組へ入隊したといわれているが、真偽は不明。
文久3年(1863年)9月25日に永倉新八・中村金吾らを襲撃したが失敗し、翌26日屯所内で結髪中、林信太郎らによってスパイ容疑で斬殺された。芹沢鴨暗殺の日が近かった事もあって、局長暗殺の罪も被せられたと見られている。
生前はいわゆる洒落者であったとされる。
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