草野永幸
草野 永幸(くさの ながゆき)は、南北朝時代の武将。草野氏は藤原北家と称した肥前高木氏流、あるいは嵯峨源氏流と称した氏族。
時代 | 南北朝時代 |
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生誕 | 不明 |
死没 | 不明 |
別名 | 初名:永行、通称:孫次郎[1][2] |
戒名 | 円真[2] |
氏族 | 肥前高木氏流草野氏 |
父母 | 父:草野永広 |
子 | 時永 |
経歴・人物
編集南朝方に属し、康平3年/興国5年(1344年)以来、筑後山本郡草野城を守る[1][2]。文和2年/正平8年(1353年)に懐良親王が筑後高良山に布陣した際は、宿直および警護役をつとめた[1][2]。その後は延文4年/正平14年(1359年)に掛けて菊池武光に従い筑後川の戦いなど筑後・豊後各地[注釈 1]で転戦した[1][2]。