茨木司
生涯
編集会津藩出身。慶応元年(1865年)の入隊とされる。尊皇攘夷思想が強く、慶応3年(1867年)3月に結成された伊東甲子太郎らの御陵衛士に参加を希望したが、その才を惜しんだ近藤勇によって新選組に残留した。一方で、伊東より間者(スパイ)を頼まれていたといわれる。これは御陵衛士との隊士の行き来を禁じられていたためであった。
同年6月に新選組の幕臣取り立てに反発し、会津藩京都守護職邸に抗議を行ったが受け入れられず、佐野七五三之助、中村五郎、富川十郎らと共に、同所で自刃した。
脚注
編集- ^ 史談会 編『幕末動乱の記録:「史談会」速記録』桃源社〈桃源選書〉、1965年、160頁。「非常に勉強家でございまして、剣術も免許以上出来まして、柔術も免許以上を使いました。又少しく文字もございます。」