茂木 順三郎(もぎ じゅんざぶろう、1884年明治17年)4月3日[1] - 1954年昭和29年)4月13日[2][3])は、日本実業家。柏屋商事社長[4][5]。小網商店出資社員[4][5][6]、有限社員[7]千秋社理事[4][7]。千葉県多額納税者[4][6][8]

人物

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千葉県東葛飾郡野田町(現・野田市)出身。茂木七郎右衛門の長男[4][6]1929年家督を相続した[4]。学歴は「慶大に学ぶ」[4]、あるいは「慶應義塾修業」[7]。銀行会社の重役であり、野田商誘銀行常務[7]、野田醤油(現・キッコーマン)、銚子醤油(現・ヒゲタ醤油)、総武鉄道各取締役、日本坩堝、満州野田醤油各監査役等をつとめた[4][5]。趣味は打球、[4]ゴルフ[5]。宗教は真言宗[4][5]。住所は千葉県東葛飾郡野田町野田[9]。1944年、紺綬褒章を受章[1]

家族・親族

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茂木家
親戚

脚注

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  1. ^ a b 『紺綬褒章名鑑 昭和17年~昭和22年』総理府賞勲局、1987年、p.271。
  2. ^ 「茂木順三郎氏(前野田醤油取締役)」『朝日新聞』1954年4月14日、3面。
  3. ^ 「茂木順三郎氏(千秋社社長、前野田醤油取締役)」『毎日新聞』1954年4月14日、3面。
  4. ^ a b c d e f g h i j k l m 『人事興信録 第14版 下』モ1頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2018年2月21日閲覧。
  5. ^ a b c d e f 『人事興信録 第13版 下』モ2頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2018年11月7日閲覧。
  6. ^ a b c 『人事興信録 第11版 下』モ2頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2018年11月8日閲覧。
  7. ^ a b c d e f 『大衆人事録 第14版 北海道・奥羽・関東・中部篇』千葉33頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2018年11月7日閲覧。
  8. ^ 『日本紳士録 第37版附録 多額納税者名簿』附録 全国多額納税者 千葉県24頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2019年9月18日閲覧。
  9. ^ a b 『人事興信録 第12版 下』モ1頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2018年2月21日閲覧。

参考文献

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  • 交詢社編『日本紳士録 第37版附録 多額納税者名簿』交詢社、1933年。
  • 人事興信所編『人事興信録 第11版 下』人事興信所、1937-1939年。
  • 人事興信所編『人事興信録 第12版 下』人事興信所、1940年。
  • 人事興信所編『人事興信録 第13版 下』人事興信所、1941年。
  • 人事興信所編『人事興信録 第14版 下』人事興信所、1943年。
  • 帝国秘密探偵社編『大衆人事録 第14版 北海道・奥羽・関東・中部篇』帝国秘密探偵社、1943年。
  • 森川英正『日本財閥経営史 地方財閥』日本経済新聞社、1985年。
  • 佐藤朝泰『豪閥 地方豪族のネットワーク』立風書房、2001年。