茂侶神社 (流山市)

千葉県流山市にある神社

茂侶神社(もろじんじゃ)は、千葉県流山市にある神社。旧称は「三輪神社」。式内社論社で、旧社格村社

茂侶神社

拝殿
所在地 千葉県流山市三輪野山619
位置 北緯35度52分14.02秒 東経139度54分31.60秒 / 北緯35.8705611度 東経139.9087778度 / 35.8705611; 139.9087778 (茂侶神社)座標: 北緯35度52分14.02秒 東経139度54分31.60秒 / 北緯35.8705611度 東経139.9087778度 / 35.8705611; 139.9087778 (茂侶神社)
主祭神 大物主命
社格 式内社(小)論社
村社
創建 不詳
別名 三輪神社
例祭 10月15日
主な神事 ヂンガラ餅(1月8日
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一の鳥居
二の鳥居

祭神

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歴史

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延喜式神名帳』には小社として「下総国葛飾郡 茂呂神社」と記載されており、その論社にあたる。論社には他に2社(松戸市船橋市)がある(「茂侶神社」参照)。茂呂神社自体の国史での初見は、『日本三代実録』貞観13年(817年)11月12日条「茂呂神に従五位上の神階を授ける」という記述である。その後、元慶3年(879年)9月25日に正五位上を授けられた。

当社の創建は不詳。祭神の大物主命は、奈良県三輪山にある大神神社の分霊とされており、社名の「茂呂(茂侶)」は、三輪山の旧名「御諸山(みもろやま)」の「モロ」のことであると見られている[1]。そのため、当社の鎮座する台地もまた「三輪山(三輪野山)」と呼ばれている。神宮寺跡・旧参道西平井の鳥居跡・八木郷の地名由来などから、当社は広大な神域を有していたと推測されている。

慶長3年(1598年)、江戸川が掘られたことにより神域が分断された。当神社はその東岸にあたる。そのため、元和年間に江戸川西岸に分社し、三輪神社が創建された。また、当社には江戸幕府から毎年25石の祭祀料が捧げられていた。

境内

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  • 本殿
  • 拝殿 - 平成7年に瓦の葺き替えが行われた。

境内に接して神宮寺の跡がある。

祭事

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  • ヂンガラ餅
1月8日のオビシャ(新年祭)において、鏡餅を神前に供えたのち氏子が引きちぎりあう。餅の割れ方によりその年の作柄を占っていた。流山市により無形民俗文化財に指定されている。

文化財

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流山市指定無形民俗文化財

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  • ヂンガラ餅行事

現地情報

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所在地
交通アクセス

脚注

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  1. ^ 神のいる「モリ」の転訛とする説もある。

関連項目

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外部リンク

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