茂串俊
日本の官僚
来歴
編集大蔵省大臣官房審議官等を経て、内閣法制局に転じ、第三部長、第一部長、内閣法制次長を歴任し、1983年(昭和58年)内閣法制局長官。
退官後は地域振興整備公団総裁を務めた。
略歴
編集- 1944年(昭和19年)大蔵省入省(給与局)[3]
- 1949年(昭和24年)11月14日 坂出税務署長
- 1953年(昭和28年)12月16日 札幌国税局徴収部長
- 1954年(昭和29年)11月1日 札幌国税局調査査察部長
- 1956年(昭和31年)9月5日 法制局第三部参事官
- 1965年(昭和40年)7月8日 国税庁直税部法人税課長
- 1966年(昭和41年)8月1日 大蔵省大臣官房専門調査官
- 1968年(昭和43年)3月1日 大阪税関長
- 1969年(昭和44年)8月15日 関東財務局東京証券取引所監理官兼大臣官房審議官
- 1970年(昭和45年)6月25日 大蔵省大臣官房審議官
- 1971年(昭和46年)6月22日 内閣法制局第三部長
- 1976年(昭和51年)7月13日 内閣法制局第一部長
- 1979年(昭和54年)11月13日 内閣法制次長
- 1983年(昭和58年)7月8日 内閣法制局長官
- 1986年(昭和61年)7月22日 依願免官
- 1986年(昭和61年)12月5日 地域振興整備公団総裁
- 1990年(平成2年)10月25日 同依願退任
- 1992年(平成4年)11月3日 叙勲一等授瑞宝章
- 2016年(平成28年)12月29日 肺炎のため死去、叙従三位[4]
脚注
編集公職 | ||
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先代 角田礼次郎 |
内閣法制局長官 第54代:1983 - 1986 |
次代 味村治 |