英宗 (宋)
英宗(えいそう、1032年2月16日 - 1067年1月25日)は、北宋の第5代皇帝。実父の濮王趙允譲は仁宗の従兄にあたる。母は趙允譲の側室の任氏(仙游県君)。
英宗 趙曙 | |
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北宋 | |
第5代皇帝 | |
王朝 | 北宋 |
在位期間 |
嘉祐8年4月1日 - 治平4年1月8日 (1063年5月1日 - 1067年1月25日) |
都城 | 開封 |
姓・諱 |
趙宗実 趙曙(立太子後) |
諡号 | 体乾応暦隆功盛徳憲文粛武睿聖宣孝皇帝 |
廟号 | 英宗 |
生年 |
明道元年1月3日 (1032年2月16日) |
没年 |
治平4年1月8日 (1067年1月25日) |
父 | 趙允譲(第13子) |
母 | 任氏 |
后妃 | 宣仁皇后高氏 |
陵墓 | 永厚陵 |
年号 | 治平 : 1064年 - 1067年 |
子 | 神宗(北宋皇帝趙頊) |
仁宗が崩御した際に嗣子が無かったため、傍系の英宗が第5代皇帝として即位した。英宗は英邁な人物であり、対外戦費のために破綻していた財政を再建するために改革に着手しようとしたが、改革に反対する勢力が強く、また父の趙允譲の待遇を巡る濮議が発生した。
さらに英宗自身も病弱であり、在位わずか4年にして病死したため、改革は失敗に終わった。