花谷幸比古
花谷 幸比古(はなたに ゆきひこ、1950年8月9日 - )は、日本の神職、風水学研究家、鍼灸師、柔道整復師。
元大阪府日本中国友好協会副理事長。元大阪府神社庁理事。関西インドネシア友好協会顧問。
略歴
編集大阪市鶴見区鶴見にて出生。1968年4月 皇學館大学文学部国史学科入学。学生時代より三島由紀夫の楯の会の森田必勝・阿部勉と親交、新右翼の活動家として活動。1972年3月 大学を卒業。大阪市内の神社に奉職。大阪府日本中国友好協会に入会。夜間に鍼灸師柔道整復師の専門学校に入学。
1974年4月 柔道整復師の免許取得。1974年9月 鍼灸師の免許所得。1975年9月 鍼灸師として中国へ短期留学。1977年4月 帰国後、鍼灸整骨院開業、大阪府日中友好協会青年部として活動、中国留学生の交流を進める。反米愛国、日中軍事同盟の必要性を説く。
1978年4月 学校法人大阪鍼灸専門学校(現学校法人森之宮医療学園)鍼灸学科の講師、同校の評議員になる。
1980年4月 鶴見神社禰宜に就任。1984年4月 近江神宮宮司横井時常の弟子になる。
1987年11月 大阪市から民生委員・児童委員に任命される。
1988年4月 遠赤外線治療器ホットドームを共同開発し特許所得。学術論文「鍼灸治療と遠赤外線」発表。
1994年4月 現学校法人森之宮医療学園理事就任。
1991年2月 『古神道の気』(太陽出版)を出版・共著。1994年3月 『古神道・死者の書』(太陽出版)を出版。
1995年12月 維新政党・新風結党に参加。初代代表の魚谷哲央の要請を受け初代副財務委員長に選出される。以来維新政党の党員として活動。
1998年9月 『龍の大予言』(PHP)を出版。
1999年4月 鶴見神社宮司・大宮神社宮司、大阪府神社庁参与就任。2000年4月 大阪府日本中国友好協会理事就任。
2002年12月 「幕末入門書・志士たちの死生観」(展転社)を出版。
2003年4月 大阪府日本中国友好協会常任理事就任。2005年11月 民生委員児童委員鶴見地区長就任。2006年4月 大阪府日本中国友好協会副理事長就任。大阪府神社庁理事渉外委員長就任。関西インドネシア友好協会顧問就任。2013年4月 大阪府神社庁協議員会議長就任。2013年4月 大阪府日本中国友好協会理事長就任。
人物
編集- 花谷家の始祖は神武天皇の東征に際し、熊野路を先導して功績をあげた奈良県吉野の八咫烏、通称、鴨県主の遠祖である賀茂建角身命から始まると言われている。壬申の乱・建武の新政・吉野朝時代・天註組の変など常に天皇に味方して立ち上がる家筋のため、花谷幸も学生時代より新右翼として新左翼系の学生と対立し、陸上自衛隊での訓練の経験もあり武闘派として活動していた。新尊王攘夷派を自任していた。自決した森田必勝を先輩と呼び慕っていた。そのためか昭和45年11月25日の楯の会事件以後、一時期過激な行動のため何度も公安警察にマークされ留置されたこともあった。
著書
編集- 『古神道の気』菅田正昭共著 コスモ・テン・パブリケーション 1991
- 『古神道死者の書』コスモ・テン・パブリケーション 1994
- 『「龍」の大予言――風水の秘伝「望龍術」で近未来を予測する』PHP研究所 1998
- 『幕末入門書――志士たちの生涯と死生観』展転社 2002
参考文献
編集- 大阪府神社庁関係者名簿(大阪府神社庁)2007年度・2010年・2011年・2012年度
- 「古神道の本」(学研1994年)
- 武智功「日本の神々と祭祀の心」(奈良新聞2012,)年
- 特定非営利活動法人大阪府日本友好協会。(2002年・2005年・2009年度委嘱状・名簿)
- 関西インドネシア友好協会(2007年度委嘱状・関イン連ニュース)
- 学校法人森之宮医療学園。評議委員会・理事会記録
- 森田必勝「森田必勝遺稿集 わが思想と行動」(日新報道、1971年)(2002年新装版で再版)
- 山本舜勝「三島由紀夫・憂悶の祖国防衛賦―市ケ谷決起への道程と真相」(日本文芸社、1980年)
- 学研ムー(学研2001年1月・2005年1月・2007年1月・2010年10月・2011年2月、10月、11月・2012年1月)