色部 顕長(いろべ あきなが)は、戦国時代武将上杉氏の家臣。揚北衆の一人。越後国岩船郡平林城主。

 
色部 顕長
時代 戦国時代
生誕 天文18年(1549年)?
死没 天正15年9月4日1587年10月5日
改名 虎黒丸(幼名)、顕長
別名 通称:弥三郎
戒名 聴覚春公庵主
墓所 新潟県村上市長松 長松寺
官位 修理亮
主君 長尾景虎(上杉謙信)景勝
氏族 色部氏
父母 父:色部勝長
兄弟 顕長長実
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生涯

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永禄12年(1569年)、父・色部勝長本庄繁長の反乱の鎮圧中に没すると家督を継ぎ、上杉謙信(当時は輝虎)から顕長の名を賜る。

あまり体が強いとはいえない体質だったため、天正4年(1576年)に弟の長実に家督を譲り隠居した。

参考文献

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  • 『神林村誌 通史編』(1985年)
  • 『神林村誌 資料編 上巻』(1982年)
  • 『色部史料集』井上鋭夫(新潟史学会、1968年)
  • 『越後国人領主 色部氏史料集』田島光男(神林村教育委員会、1979年)
  • 『本庄氏と色部氏』渡辺三省(村上郷土研究グループ、1987年)