船秦勝
飛鳥時代~奈良時代にかけての貴族
船 秦勝(ふね の はだかつ)は、飛鳥時代から奈良時代にかけての貴族。名は甚勝とも記される。姓は連。官位は正五位下・出雲守。
経歴
編集文武天皇4年(700年)巡察使の奏上に基づいて、諸国の国司らが治績に応じて位階を進められ、あるいは封戸を与えられたが、この時に因幡守であった秦勝は封戸30戸を(この時の冠位は勤大壱(正六位上に相当))、遠江守であった漆部道麻呂は封戸20戸を与えられている。
慶雲2年(705年)従五位下に叙爵すると、和銅7年(714年)従五位上から正五位下に昇叙されるなど、文武朝末から元明朝にかけて昇進した。なおこの間の和銅2年(709年)造雑物法用司が設置されると、采女枚夫・多治比三宅麻呂・笠吉麻呂らとともにこれに任ぜられている。
官歴
編集『続日本紀』による。