船橋市飛ノ台史跡公園博物館

千葉県船橋市の考古学博物館。

船橋市飛ノ台史跡公園博物館(ふなばしし とびのだい しせきこうえんはくぶつかん)は、千葉県船橋市海神4丁目27番2号に所在する歴史博物館。船橋市指定史跡飛ノ台貝塚や、船橋市内の遺跡について展示解説を行う。愛称は「とびはく[1]

船橋市飛ノ台史跡公園博物館
Funabashi City Tobinodai Historic Site Park Museum
外観
地図
施設情報
正式名称 船橋市飛ノ台史跡公園博物館
愛称 とびはく
専門分野 考古学郷土史
事業主体 船橋市
管理運営 船橋市教育委員会
開館 2000年(平成12年)11月
所在地 273-0021
千葉県船橋市海神4丁目27-2
位置 北緯35度42分39.2秒 東経139度58分29.3秒 / 北緯35.710889度 東経139.974806度 / 35.710889; 139.974806座標: 北緯35度42分39.2秒 東経139度58分29.3秒 / 北緯35.710889度 東経139.974806度 / 35.710889; 139.974806
外部リンク 公式サイト
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概要

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飛ノ台史跡公園に復元された縄文時代早期の炉穴遺構。

飛ノ台貝塚は、当博物館の所在地である船橋市海神4丁目ほかに広がる縄文時代早期(約11000年前〜7000年前)の集落を中心とする複合遺跡である。海浜地帯に面した台地上という、当時の生活環境として好立地の場所であるため、旧石器時代から人類の活動痕跡が見られ[2]、縄文時代の早い時期に定住集落が造営された[3]。縄文時代以降も古墳時代に集落が形成されている[2]

1938年(昭和13年)の発掘調査で、調理施設の1種と見られる「炉穴」と呼ばれる縄文時代早期に特徴的な遺構が、日本の近代考古学史上初めて検出された遺跡としても知られる[4][5]

隣接する船橋市立海神中学校校舎建設などに伴い複数回の発掘調査が行われており、2025年(令和7年)現在までに縄文時代に関しては竪穴建物25棟、炉穴約400基、貝塚約40か所が検出されている[3]。1997年(平成9年)5月16日に市の史跡に指定され「飛ノ台史跡公園」として整備された[6]

博物館は鉄筋コンクリート4階建てで、海神中学校と建物を一部共有する。飛ノ台貝塚と、船浜市内の遺跡や考古資料を紹介するため、市立博物館の1つとして2000年(平成12年)11月に開館。1階はエントランスおよびギャラリー。2階と3階が出土した考古資料(遺構遺物)の展示室となっている。4階は研究室と遺物の収蔵庫である[3]

屋外の飛ノ台史跡公園では炉穴竪穴建物貝塚などの遺構検出状況がジオラマ復元され展示されている[3]

公共交通機関では、東武野田線(東武アーバンパークライン)新船橋駅から徒歩8分。東葉高速鉄道東海神駅から徒歩12分、京成本線海神駅から徒歩15分で到達可能[1]

脚注

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  1. ^ a b 船橋市役所 (2025年2月13日). “飛ノ台史跡公園博物館”. 船橋市. 2025年2月22日閲覧。
  2. ^ a b 西川, 落合 & 木原 2011.
  3. ^ a b c d 山船橋市役所 (2020年12月1日). “博物館概要”. 船橋市. 2025年2月22日閲覧。
  4. ^ 船橋市役所 (2016年2月21日). “飛ノ台貝塚”. 船橋市. 2025年2月22日閲覧。
  5. ^ 東京遺跡散策会 2022, p. 55.
  6. ^ 船橋市役所 (2022年2月3日). “指定文化財”. 船橋市. 2025年2月22日閲覧。

参考文献

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  • 西川, 博孝、落合, 章雄、木原, 高弘『船橋市飛ノ台貝塚』公益財団法人 千葉県教育振興財団文化財センター〈千葉県教育振興財団調査報告656〉、2011年3月18日。doi:10.24484/sitereports.132354NCID BB06087206https://sitereports.nabunken.go.jp/132354 

関連項目

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外部リンク

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