舞子公園
兵庫県立舞子公園(ひょうごけんりつまいここうえん)は、兵庫県神戸市垂水区東舞子町にある都市公園[2]。
兵庫県立舞子公園 Hyogo Prefectural Maiko Park | |
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分類 | 都市公園 |
所在地 | |
座標 | 北緯34度37分52.5秒 東経135度02分8.6秒 / 北緯34.631250度 東経135.035722度座標: 北緯34度37分52.5秒 東経135度02分8.6秒 / 北緯34.631250度 東経135.035722度 |
面積 | 7.8ha |
開園 | 1900年(明治33年)7月25日 |
運営者 | 公益財団法人兵庫県園芸・公園協会(指定管理者。ただし移情閣を除く)[1] |
設備・遊具 | 松林、舞子海上プロムナード、孫文記念館、旧木下家住宅、旧武藤山治邸、舞子デッキ、コンビネーション遊具 |
駐車場 | 普通車222台、大型車10台 |
アクセス | 山陽電鉄本線 舞子公園駅 南へ徒歩3分 |
事務所 | 「舞子海上プロムナード」舞子公園管理事務所 |
事務所所在地 | 神戸市垂水区東舞子町2051番地 |
公式サイト | 舞子公園 |
概要
編集垂水区の西側あたりから明石市の東あたり一帯の浜を、古くは舞子の浜と呼び、須磨の浜と並ぶ名所で、江戸時代には旅の休憩所として多くの待合茶屋が存在した。歌川広重画「播磨舞子の浜」では、風や強い波により砂が流され、自然に「根上り松」のような形となった白砂青松の美しい海岸風景が描かれている。
明治時代に入ると明治天皇や有栖川宮がよく訪れ、1888年(明治21年)に有栖川宮別邸(現・舞子ビラ)が設けられてからは、政財界人の別邸が近隣に建設されるようになった。1900年(明治33年)に初の県立公園として[3]、「舞子公園」が開設され「鳳凰の舞うがごとき」と賞された老松の林と海峡の風景が広がる公園であった。
戦前まで松林は保たれていたが戦後になって、台風、車の排気ガス、病害虫などにより弱り始めたため、元の松林に戻そうと様々な対策を行ったが弱り続け、1955年(昭和30年)代後半には最悪の状況になった。この時、松の総数は約1200本あり、その内約150本が老松であった。このため専門家の指導を受け、防風防潮林の設置、園路の整備、客土の施肥、肥料植物の植え付け、他の海岸縁に育った松を植えるなどの対策を行った結果、1965年(昭和40年)台後半から成果が現れ始め、松林は回復して来た。
1986年(昭和61年)から始まった「明石海峡大橋」の建設とその関連工事のため、順調に育ってきた1000本以上の松が移植され、新しく南側の埋立地が公園となり390本の松が植えられ、明治時代まであった「根上り松」を周辺地域の人々と長い年月をかけて再生しようとする試みも始まっている。
この松林を含む一帯は公園としてベンチや遊具が設けられ、「台場跡」や「孫文記念館 (移情閣)」などの史跡も整備され、週末には明石海峡大橋などを目当ての観光客も数多く訪れ、憩いの場となっている。
施設
編集- 南地区
- 明治天皇歌碑
- 明石藩舞子台場跡(国の史跡)
- 孫文記念館(国の重要文化財)
- 旧武藤家別邸洋館(国の登録有形文化財)
- 橋の科学館
- 夢レンズ
- 舞子タワー跡 - 高さ103.5mの明石海峡を望むタワーの跡地
- 明石海峡大橋
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明治天皇歌碑
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明石藩舞子台場跡から望む明石海峡大橋と淡路島
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孫文記念館
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旧武藤山治邸
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橋の科学館
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アンカレイジ
- 中央地区
- 舞子デッキ
- 東地区
- レストラン
- 西地区
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旧木下家住宅
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舞子若宮神社
- 北地区
- 舞子ビラ(有栖川宮の別荘跡)
周辺
編集脚注
編集- ^ 指定管理者制度導入施設一覧兵庫県 - 移情閣は「高度な専門的知識の蓄積・活用等が必要とされる施設」として指定管理者の公募は行っていない。
- ^ “兵庫県立都市公園の設置(昭和39年4月4日告示第332号の18の4)”. 例規集. 兵庫県. 2024年7月28日閲覧。
- ^ 兵庫県知事官房統計課 編『兵庫県要覧 第13章公園 第3節舞子公園』兵庫県知事官房統計課 国立国会図書館デジタルコレクション、1929年5月28日、310頁。doi:10.11501/1879913 。2022年11月12日閲覧。