舘 粲児(たち えいじ、明治26年(1893年) - 没年不詳)は、日本の造園家石川県出身。大正6年、千葉県立高等園芸学校卒業し、翌年に宮内省内匠寮匠生となる。大正10年に宮内技手補、昭和2年宮内技手。この間、宮内の御料地に6ホールのゴルフ場を造営。昭和11年に北米出張。昭和17年に宮内技師となるが、同年に退職。戦後はゴルフ場造営と田村剛加藤誠平吉村巌らと観光開発等調査計画に関わる。

代表作には、呉羽観光呉羽カントリークラブ(昭和35年、竹村秀夫らと。富山市三熊)がある。

論文

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  • 西洋芝の栽培に就いて(造園雑誌 1(1), 43-49, 1934年2月号)
  • 再び西洋芝栽培に就いて(造園雑誌 3(2), 149-153, 1936年7月号)

参考文献

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  • 呉羽の30年I 呉羽カントリークラブ
  • 呉羽の二十年 呉羽カントリークラブ 1980年