興部駅
興部駅(おこっぺえき)は、北海道(網走支庁)紋別郡興部町字興部にあった北海道旅客鉄道(JR北海道)名寄本線の駅(廃駅)である。事務管理コードは▲122113[2]。1985年(昭和60年)までは興浜南線の分岐駅でもあった。
興部駅 | |
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おこっぺ Okoppe | |
所在地 | 北海道紋別郡興部町字興部 |
所属事業者 |
北海道旅客鉄道(JR北海道) 日本国有鉄道(国鉄) |
電報略号 | オコ←ヲコ |
駅構造 | 地上駅 |
ホーム | 2面3線 |
開業年月日 | 1921年(大正10年)3月25日 |
廃止年月日 | 1989年(平成元年)5月1日 |
乗入路線 2 路線 | |
所属路線 | 名寄本線 |
キロ程 | 67.8 km(名寄起点) |
◄北興 (3.5 km) (1.3 km) 旭ヶ丘► | |
所属路線 | 興浜南線 |
キロ程 | 0.0 km(興部起点) |
(8.3 km) 沢木► | |
備考 | 興浜南線は1985年(昭和60年)7月15日に廃止。 |
歴史
編集1980年(昭和55年)9月30日まで運行されていた急行「天都」・1986年(昭和61年)10月31日まで運行されていた急行「紋別」の停車駅であった。
- 1921年(大正10年)
- 1923年(大正12年)11月5日 - 線路名を名寄本線に改称、それに伴い同線の駅となる[3]。
- 1935年(昭和10年)
- 1944年(昭和19年)11月1日 - 興浜南線が不要不急線として休止される[3]。
- 1945年(昭和20年)12月5日 - 興浜南線が営業再開[3]。
- 1949年(昭和24年)6月1日 - 日本国有鉄道に移管。
- 1955年(昭和30年) - 鉄道弘済会売店(後のキヨスク)出店[6]。
- 1961年(昭和36年)11月 - 弁当構内立売営業開始(米田弁当店)[6]。
- 1962年(昭和37年)5月 - 急行「紋別」及び準急「天都」の停車駅となる[6]。
- 1968年(昭和43年)7月25日 - 補助コンテナ基地設置[7]。
- 1982年(昭和57年)11月15日 - 貨物取扱い廃止[4]。
- 1984年(昭和59年)2月1日 - 荷物取扱い廃止[4]。
- 1985年(昭和60年)7月15日 - 興浜南線が廃止される[3]。
- 1987年(昭和62年)4月1日 - 国鉄分割民営化によりJR北海道に継承[4]。
- 1989年(平成元年)5月1日 - 名寄本線の廃線に伴い廃止となる[3]。
駅名の由来
編集当駅の所在する地名より。アイヌ語の「オウコッペ[8]」〔川尻・互いにくっつく・もの(川)〕に字を当てたものであるとされる[9][10][11]。
駅構造
編集廃止時点で、単式ホーム・島式ホーム複合型2面3線を有する地上駅で、列車交換可能な交換駅であった[12]。互いのホームは駅舎側ホーム中央部分と島式ホーム南側を結んだ構内踏切で連絡した[12]。1983年(昭和58年)時点では、駅舎側(西側)が1番線、上屋が設置された[13]島式ホーム駅舎側が2番線、外側が3番線となっており、何れも上下共用であった。3番線の外側に側線を3線有し、そこから給水線などの行き止まりの側線も数線有した。そのほか1番線の遠軽方から分岐し駅舎北側のホーム切欠き部分の貨物ホームへの貨物側線を2線有していた[12]。
職員配置駅となっており、駅舎は構内の北西側に位置し単式ホーム中央部分に接していた[12]。ホームの有効長は120mあった[12]。
利用状況
編集乗車人員の推移は以下のとおり。年間の値のみ判明している年については、当該年度の日数で除した値を括弧書きで1日平均欄に示す。乗降人員のみが判明している場合は、1/2した値を括弧書きで記した。
年度 | 乗車人員 | 出典 | 備考 | |
---|---|---|---|---|
年間 | 1日平均 | |||
1954年(昭和29年) | (621.0) | [5] | 1日平均乗降人員1,242人 | |
1955年(昭和30年) | (626.0) | 1日平均乗降人員1,252人 | ||
1956年(昭和31年) | (749.0) | 1日平均乗降人員1,498人 | ||
1957年(昭和32年) | (715.5) | 1日平均乗降人員1,431人 | ||
1958年(昭和33年) | (737.5) | 1日平均乗降人員1,475人 | ||
1978年(昭和53年) | 366 | [14] | ||
1981年(昭和56年) | (201.5) | 1日平均乗降人員403人 |
駅弁
編集駅周辺
編集駅跡
編集2000年(平成12年)時点でバスターミナルを兼ねた「道の駅おこっぺ」となっている[17]。道の駅おこっぺの一角には1992年(平成4年)6月から興部町により「興部交通記念館」が開設されている[18]。館内には当時使用していた備品、乗車券、レール、時刻表、駅舎モデル、写真パネルなどが保存・展示されている[18]。駅舎モデルは宇津駅、当駅、沙留駅の3駅が展示されている[19]。館外の敷地にはキハ22形気動車キハ22 202、キハ22 251の2両が連結された状態で静態保存・展示され、前者が休憩所、後者がライダーハウスとして使用されており[18]、「ルゴーサ・エクスプレス」と名付けられている[20]。また駅構内跡地は広いため公園にも転用されており[17]、モニュメントとして[19]D51形蒸気機関車D51 365号機の動輪が保存・展示されている[18]。2010年(平成22年)時点[20]、2011年(平成23年)時点[19]でも同様であった。
また、2000年(平成12年)時点では北興駅 - 当駅間の線路跡の一部がサイクリングロードに転用されており、それを跨ぐ陸橋に「天北こ線橋」の名が残っていた。2010年(平成22年)時点[20]、2011年(平成23年)時点[19]でも同様であった。
隣の駅
編集- 日本国有鉄道
- 興浜南線
- 興部駅 - 沢木駅
脚注
編集- ^ “道の駅 おこっぺ”. 北海道地区道の駅連絡会. 2015年6月3日閲覧。
- ^ 日本国有鉄道営業局総務課 編『停車場一覧 昭和41年3月現在』日本国有鉄道、1966年、242頁。doi:10.11501/1873236 。2023年3月21日閲覧。
- ^ a b c d e f g h 停車場変遷大事典 国鉄・JR編I 1998年JTB発行、P251。
- ^ a b c d e 停車場変遷大事典 国鉄・JR編II 1998年JTB発行、P910。
- ^ a b 興部町史編纂委員会『興部町史』興部町、1961年4月25日、538頁。doi:10.11501/3449185。
- ^ a b c d 興部町百年史 1993年発行、P1011。
- ^ 「旭川・鉄道八十八年の歩み」1987年 旭川鉄道管理局発行、P102。
- ^ アイヌ語ラテン翻字: o-u-kot-pe
- ^ “アイヌ語地名リスト エン~オニシ P21-30P”. アイヌ語地名リスト. 北海道 環境生活部 アイヌ政策推進室 (2007年). 2017年10月20日閲覧。
- ^ 宮脇俊三 編『国鉄全線各駅停車1 北海道690駅』原田勝正、小学館、1983年7月、209頁。ISBN 978-4093951012。
- ^ 太田幸夫『北海道の駅878ものがたり 駅名のルーツ探究』富士コンテム、2004年2月、186頁。ISBN 978-4893915498。
- ^ a b c d e 宮脇俊三 編『国鉄全線各駅停車1 北海道690駅』原田勝正、小学館、1983年7月、209頁。ISBN 978-4093951012。
- ^ 工藤裕之『北海道廃止ローカル線写真集 追憶の鉄路』北海道新聞社、2011年12月、72頁。ISBN 978-4894536197。
- ^ a b 藤田, 稔 編『国鉄全駅大事典』藤田書店、1980年4月30日、905頁。doi:10.11501/12065814 。
- ^ 動画で見るニッポン‐NHK映像マップみちしる〜新日本風土記アーカイブス〜名寄本線‐寒冷地を走り続けた路線
- ^ a b c 『北海道道路地図 改訂版』地勢堂、1980年3月、18頁。
- ^ a b 宮脇俊三 編『鉄道廃線跡を歩くVII』JTBパブリッシング〈JTBキャンブックス〉、1999年12月、40頁。ISBN 978-4533033766。
- ^ a b c d 白川淳 編『全国保存鉄道III 東日本編』JTBパブリッシング〈JTBキャンブックス〉、1998年10月、51頁。ISBN 978-4533030963。
- ^ a b c d 本久公洋『北海道の鉄道廃線跡』北海道新聞社、2011年9月、119頁。ISBN 978-4894536128。
- ^ a b c 今尾恵介 編『新 鉄道廃線跡を歩く1 北海道・北東北編』JTBパブリッシング、2010年3月、35頁。ISBN 978-4533078583。
関連項目
編集外部リンク
編集- 興部町の道の駅~おこっぺ - 北海道地区「道の駅」連絡会による紹介ページ。