興道名継
興道 名継(おきみち の なつぐ)は、平安時代初期から前期にかけての医師・貴族。氏姓は門部連のち興道宿禰。官位は従五位上・典薬頭。
時代 | 平安時代前期 |
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生誕 | 不明 |
死没 | 貞観18年11月19日(876年12月8日) |
官位 | 従五位上・典薬頭 |
主君 | 文徳天皇→清和天皇 |
氏族 | 門部連→興道宿禰 |
経歴
編集文徳朝から清和朝にかけて長きに亘り侍医を務め皇室の診療を担当する。文徳朝では斉衡3年(856年)に門部連から興道宿禰に改姓し、天安2年(858年)外従五位下に叙せられている。
清和朝に入り、貞観2年(860年)内位の従五位下に叙せられて医博士を、翌貞観3年(861年)からは内薬正を兼ねている。貞観12年(870年)次侍従に任ぜられ、のち典薬頭に至る。
貞観18年(876年)11月19日卒去。最終官位は従五位上行典薬頭兼侍医
官歴
編集『六国史』による。