興安省
中華民国の省
興安省(こうあんしょう)は、中華民国にかつて存在した省。中国東北部の北西に位置する。
中華民国 興安総省 | |
← 1945年 - 1949年 → | |
簡称:興
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興安省の位置 | |
簡体字 | 兴安 |
繁体字 | 興安 |
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拼音 | Xīng'ān |
カタカナ転記 | シンアン |
国家 | 中華民国 |
行政級別 | 省 |
政府所在地 | ハイラル市 |
建置 | 1945年 |
廃止 | 1949年 |
面積 | |
- 総面積 | 278,436.91 km² |
人口 | |
- 総人口(1947) | 32.76 万人 |
地理
編集興安省は北はソビエト連邦、西は蒙古地方、南は遼北省、東は黒竜江省及び嫩江省に接していた。
大興安嶺中部に位置し、東部は東北平原、西部は蒙古高原に繋がっている。省内の主要河川には嫩江、額爾古納河、克魯倫河があり、また呼倫湖、貝爾湖等などの水系に恵まれていた。
歴史
編集1945年8月14日、ソ連軍により婦女子を主とする1000名以上の日本人居留民が虐殺された葛根廟事件が起こされた[1][2]。1945年(民国34年)、日本の敗戦に伴い満洲国は崩壊、満洲国は中華民国により接収された。[要出典]。
1946年(民国35年)6月5日、国民政府は東北9省の行政区域を発表。満洲国興安総省の北部には興安省が設置され1市7県11旗を管轄したが、国共内戦により既に中国共産党軍の支配下にあった興安省の行政機構は大部分が実施されず、実際には革命根拠地としての行政機構が運営されていた。中華人民共和国が成立すると1949年に興安省の廃止が決定され、内モンゴル自治区に編入された。
行政区画
編集脚注
編集注釈
編集出典
編集- ^ 秦郁彦「日本開拓民と葛根廟の惨劇 (満州)」秦郁彦・佐瀬昌盛・常石敬一編『世界戦争犯罪事典』文藝春秋、2002年8月10日 第1刷、ISBN 4-16-358560-5、260~261頁。
- ^ 坂部晶子「開拓民の受難」貴志俊彦・松重充浩・松村史紀編『二〇世紀満洲歴史事典』吉川弘文館、二〇一二年 (平成二十四年) 十二月十日 第一刷発行、ISBN 978-4-642-01469-4、543頁。
関連項目
編集
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黒竜江省の歴史的地名 1945年 - 1949年 |
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