興世高世
興世 高世(おきよ の たかよ)は、平安時代初期の貴族。氏姓は吉田連のち興世朝臣。治部大輔・興世書主の近親。官位は従五位下・右京亮。
時代 | 平安時代初期 |
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生誕 | 不明 |
死没 | 不明 |
官位 | 従五位下・右京亮 |
主君 | 淳和天皇→仁明天皇 |
氏族 | 吉田連→興世朝臣 |
経歴
編集天長7年(830年)外従五位下に叙せられる。大膳亮を経て、承和3年(836年)越中介に任ぜられて地方官に転じる。越中介在任中の承和6年(839年)慶雲が同国新川郡若佐野村に出現したことを上奏する[1]。またこの間、承和4年(837年)一族の書主らと共に、吉田宿禰から興世朝臣に改姓している。
承和8年(841年)大膳亮に任官すると、承和10年(843年)右京亮と仁明朝中期は京官を歴任した。また、承和9年(842年)には内位の従五位下に叙せられている。
官歴
編集『六国史』による。
脚注
編集- ^ 『続日本後紀』承和6年12月8日条