臨川公主
臨川公主(りんせんこうしゅ)は、中国の唐の太宗李世民の十一女。字は孟姜。
李孟姜 | |
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続柄 | 太宗第11皇女 |
全名 | 李孟姜 |
称号 | 臨川長公主 |
身位 | 公主→長公主 |
出生 |
武徳7年(624年) |
死去 |
永淳元年5月21日 (682年7月1日) |
埋葬 | 昭陵 |
配偶者 | 周道務 |
子女 | 4子2女 |
父親 | 太宗 |
母親 | 韋貴妃 |
経歴
編集李世民と韋貴妃の間に生まれた。貞観初年、臨川公主に封ぜられ、食邑2千戸を受けた。成人すると、周紹範(周法尚の子)の子の周道務にとついだ。貞観17年(643年)、洪州の実封350戸を加えられた。高宗が即位すると、「孝徳頌」をたてまつって高宗の賞賛を浴びた。永徽初年、長公主に進んだ。永淳元年(682年)、幽州の公館で亡くなった。
公主は篆書・隷書に巧みで、文章に優れていた。公主が幼少のころ、太宗が甘泉宮に避暑に出かけたとき、公主が手すさびに書いた詞文に太宗は驚き、「王羲之の娘が字を孟姜といい、書芸にすぐれたと朕は聞いている。その故事を慕って娘の字としたのだが、願わくはその後進となってほしいものだ」と長孫無忌に語ったという。
伝記資料
編集- 『新唐書』巻83 列伝第8「諸帝公主伝」
- 大唐故臨川郡長公主墓誌銘