脇田晴子
脇田 晴子(わきた はるこ、1934年3月9日 - 2016年9月27日[1][2])は、日本の歴史学者。滋賀県立大学名誉教授。2005年文化功労者、2010年文化勲章受章。文学博士(京都大学、1969年)(学位論文「中世商工業座の構造」)。兵庫県西宮市生まれ。父は俳人の麻野恵三(微笑子)、夫は歴史学者の脇田修。子は経済学者の脇田成。
文化勲章受章に際して公表された肖像写真 | |
人物情報 | |
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生誕 |
1934年3月9日 日本 |
死没 | 2016年9月27日(82歳没) |
出身校 |
神戸大学文学部 京都大学大学院文学研究科 |
配偶者 | 脇田修 |
子供 | 脇田成 |
学問 | |
研究分野 | 歴史学(日本中世史) |
研究機関 | 滋賀県立大学 |
学位 | 文学博士(京都大学) |
称号 | 文化功労者、文化勲章 |
略歴
編集研究活動
編集中世史を専攻し、商工業論、都市論等から、女性史、芸能史に及ぶ。網野善彦の中世非農業民が天皇直属であったという説に反対し、遊女の地位をめぐって論争した。また外国の日本学者との共同作業も多い。
1996年から2004年まで石見銀山遺跡調査整備委員会の委員と、1997年から2004年まで石見銀山歴史文献調査団の団長を務め、2004年から2006年はユネスコへ提出する世界遺産登録推薦書の作成にも関与。特に中世商工業研究の視点から、石見銀山では精錬に必要な火力(薪)を安定確保するために植林活動を行い、結果として土砂災害も軽減したことを指摘。これが「自然との調和」「環境配慮」といった評価に繋がった[要出典]。また2005年には、女性史のより一層の発展を図ろうという意図で、女性史学に関する優れた著書に女性史学賞を創設。
受賞歴・叙勲歴
編集単著
編集編著・共著
編集脚注
編集- ^ 女性史研究の歴史学者、脇田晴子さん死去 文化勲章受章(朝日新聞)2016年9月28日15時04分
- ^ 女性史などで先駆的業績、脇田晴子さん死去(yomiuri online)2016年09月28日 14時48分
- ^ “安藤・三宅氏ら7人に文化勲章 ノーベル賞2氏も”. 日本経済新聞 (2010年10月26日). 2023年3月21日閲覧。