能勢郡(のせぐん)は、大阪府(摂津国)にあった郡。
1879年(明治12年)に行政区画として発足した当時の郡域は、概ね下記の区域にあたる。
和銅6年(713年)、摂津国河辺郡より割置。
『和名類聚抄』に記される郡内の郷。
『延喜式』神名帳に記される郡内の式内社。
神名帳
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比定社
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集成
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社名
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読み
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格
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付記
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社名
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所在地
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備考
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能勢郡 3座(並小)
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岐尼神社 |
キネノ |
小 |
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岐尼神社 |
大阪府豊能郡能勢町森上 |
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久佐佐神社 |
クササ |
小 |
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久佐々神社 |
大阪府豊能郡能勢町宿野 |
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野間神社 |
ノマノ |
小 |
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野間神社 |
大阪府豊能郡能勢町地黄 |
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凡例を表示
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知行
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村数
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村名
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幕府領
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幕府領
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19村
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●平野村、●稲地村、●上杉村、●垂水村、●天王村、●山田村、吉野村、山内村、川尻村、余野村、野間口村、●倉垣村、●木代村、●吉川村、●下田村、●柏原村、●片山村、●平通村、●宿野村
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旗本領
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6村
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野間村[2]、地黄村、切畑村[3]、上田尻村、下田尻村、杉原村
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藩領
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上総飯野藩
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4村
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森上村、今西村、●大里村、長谷村
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武蔵岡部藩
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3村
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神山村、山辺村、栗栖村
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- 慶応4年
- 明治2年
- 明治3年(1870年)
- 明治4年
- 明治5年(1872年) - 切畑村が分割して大円村・中野西村・中野東村・西野村となる。(35村)
- 1875年(明治8年)4月30日 - 大区小区制の大阪府での施行により、能勢郡が第11大区となる。
- 1876年(明治9年) - 大円村・中野西村・中野東村・西野村が合併して切畑村となる。(32村)
- 1879年(明治12年)2月10日 - 郡区町村編制法の大阪府での施行により、行政区画としての能勢郡が発足。郡役所が地黄村に設置。同日大区小区制廃止。
- 1881年(明治14年)1月6日 - 郡役所が豊島郡池田村の豊島郡役所に統合。豊島郡役所が改称して「豊島能勢郡役所」となる。
- 1883年(明治16年) - 野間村が分割して野間中村・野間稲地村・野間出野村・野間西山村・野間大原村となる。(36村)
- 1889年(明治22年)4月1日 - 町村制の施行により、下記の各村が発足。(7村)
- 吉川村 ← 吉川村、兵庫県川辺郡横路村[一部](現・豊能郡豊能町)
- 東能勢村 ← 余野村、川尻村、木代村、切畑村、野間口村(現・豊能郡豊能町)
- 東郷村 ← 野間中村、地黄村、野間稲地村、野間出野村、野間西山村、野間大原村(現・豊能郡能勢町)
- 歌垣村 ← 倉垣村、杉原村、吉野村、山内村(現・豊能郡能勢町)
- 田尻村 ← 上田尻村、下田尻村(現・豊能郡能勢町)
- 西郷村 ← 宿野村、柏原村、下田村、大里村、片山村、平通村、栗栖村(現・豊能郡能勢町)
- 枳根荘村 ← 今西村、山辺村、天王村、山田村、森上村、長谷村、平野村、垂水村、稲地村、上杉村、神山村(現・豊能郡能勢町)
- 1896年(明治29年)4月1日 - 郡制の施行のため、「豊島能勢郡役所」が管轄する各郡の区域をもって豊能郡が発足。同日能勢郡廃止。
- 能勢郡長[4]
代 |
氏名 |
就任年月日 |
退任年月日 |
備考
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1 |
山村保介 |
明治12年(1879年)2月21日 |
不詳 |
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2 |
木村重郷 |
明治13年(1880年)4月1日 |
明治14年(1881年)1月6日 |
廃官
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- 豊島・能勢郡長[4]
代 |
氏名 |
就任年月日 |
退任年月日 |
備考
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1 |
木村重郷 |
明治14年(1881年)1月8日 |
明治15年(1882年)11月7日 |
豊島郡長より就任
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2 |
藤井千尋 |
明治15年(1882年)11月7日 |
明治16年(1883年)5月19日 |
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3 |
熊谷弘 |
明治16年(1883年)5月19日 |
明治16年(1883年)7月23日 |
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4 |
楠村多信 |
明治16年(1883年)7月23日 * |
明治26年(1893年)5月31日 |
* 8月2日まで郡長心得
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5 |
高山節見 |
明治26年(1893年)5月31日 |
明治29年(1896年)3月31日 |
豊島郡との合併により能勢郡廃止
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- ^ 高山は三島郡、牧・寺田は京都府南桑田郡、吉川村だった一部地域は兵庫県川辺郡横地村より編入。
- ^ 記載は「野間村内・中村」・「野間村内・稲地村」・「野間村内・出野村」・「野間村内・西山村」・「野間村内・大原村」。
- ^ 記載は「切畑村ノ内・大円村」・「切畑村ノ内・中野西村」・「切畑村ノ内・中野東村」・「切畑村ノ内・西野村」。
- ^ a b 井上正雄『大阪府全志』 巻之三、大阪府全志発行所、1922年、1083-1085頁。