胡 道安(こ どうあん、368年 - 409年)は、南朝宋の武帝劉裕の即位前の側室。文帝劉義隆の母。本貫は淮南郡。
東晋の義熙初年、劉裕に迎えられて劉義隆を産んだ。義熙5年(409年)、譴責を受けて死を賜った。享年は42。丹徒に葬られた。
永初元年(420年)、劉裕が即位すると道安は婕妤の位を追贈された。元嘉元年(424年)、文帝が即位すると道安は章皇太后の諡号を贈られて追尊され、その陵墓は熙寧陵と名づけられた。建康に廟が立てられた。