胡礽泰
胡 礽泰(こ じょうたい、中国語: 胡礽泰; 拼音: Hú Réngtài; ウェード式: Hu Jeng-t'ai)は、中華民国の政治家・外交官。字は伯平。
胡礽泰 | |
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『維新政府之現況』(1939年) | |
プロフィール | |
出生: | 1875年(清光緒2年) |
死去: |
1940年(民国29年)? 中華民国江蘇省宝山県 |
出身地: | 清江蘇省太倉州宝山県 |
職業: | 政治家 |
各種表記 | |
繁体字: | 胡礽泰 |
簡体字: | 胡礽泰 |
拼音: | Hú Réngtài |
ラテン字: | Hu Jeng-t'ai |
和名表記: | こ じょうたい |
発音転記: | フー ロンタイ |
事績
編集1898年、日本に留学し、1900年には更にアメリカへ留学した[1]。帰国後は民政部郎中、資政院議員を歴任した。1914年(民国3年)12月、駐日本長崎領事署理として来日し、翌年3月、正式に領事に昇進した[2]。1917年(民国6年)7月、北京政府交通部航政司司長に就任し、1922年(民国11年)6月まで務めている[3]。
1938年(民国27年)7月[4]、胡礽泰は中華民国維新政府司法行政部長に就任した[5]。しかし、胡は維新政府行政院長の梁鴻志と権力闘争を展開して敗退[1]、1940年(民国29年)1月に下野へ追い込まれたという[5]。帰郷後、まもなく病没した[1]。
注
編集参考文献
編集- 徐友春主編『民国人物大辞典 増訂版』河北人民出版社、2007年。ISBN 978-7-202-03014-1。
- 郭卿友主編『中華民国時期軍政職官誌』甘粛人民出版社、1990年。ISBN 7-226-00582-4。
- 姚瑞珂「天津扶轮校史馆」―「铁路同人教育会人物简介」柴春沢ホームページ、2011年11月15日。
中華民国維新政府
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