肝付兼三
肝付 兼三(きもつき かねひろ)は、安土桃山時代の武将。島津氏の家臣。大隅国加治木城主。
時代 | 安土桃山時代 |
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生誕 | 天正13年(1585年) |
死没 | 慶長7年8月17日(1602年10月2日) |
主君 | 島津忠恒 |
氏族 | 伊集院氏→喜入肝付氏 |
父母 | 父:伊集院忠棟、養父:肝付兼寛 |
兄弟 |
伊集院忠真、伊集院小伝次、兼三、 伊集院千次 |
天正18年(1590年)、肝付兼寛が没すると、喜入肝付氏の家督は伊集院忠棟の三男・兼三が継いだ。兼寛には弟・兼篤もいたが、伊集院忠棟の強い求めで兼三が兼寛の養子となった。 慶長4年(1599年)3月9日、父・忠棟が朝鮮から戻った島津忠恒に伏見で手討ちにされ、兄・忠真が日向国で反乱(庄内の乱)を起こすと肝付家を離れた。兼三の去った喜入肝付氏の家督は肝付兼篤が継承した。
慶長7年(1602年)8月17日、忠真が討たれた日に、伊集院一族と共に粛清された。