聖冏(しょうげい、興国2年/暦応4年10月15日1341年11月24日)- 応永27年9月27日1420年11月3日))は、南北朝時代から室町時代中期にかけての浄土宗(鎮西義)第7祖。号は酉蓮社了誉(ゆうれんじゃりょうよ)。

聖冏上人像(忍海筆、増上寺蔵)
東京・伝通院の墓(2023)

常陸国椎尾氏の出身。同国瓜連常福寺の了実について出家し、同国太田法然寺の蓮勝に師事した。浄土教を中心に天台密教倶舎唯識など広く仏教を修めた。宗徒養成のために伝法の儀式を整備し、五重相伝の法を定めた。神道儒学和歌にも精通し『古今集序註』『麗気記拾遺抄』を著している。

門弟に聖聡・了知などがおり、第8祖となった聖聡とともに、浄土宗鎮西義を教学面から興隆した人物として評価される。また、江戸小石川伝通院を開創したことでも知られる。

外部リンク

編集