聖コスマスと聖ダミアヌスの殉教

聖コスマスと聖ダミアヌスの殉教』(せいコスマスとせいダミアヌスのじゅんきょう、: Le Martyre des saints Cosme et Damien: The Beheading of Saints Cosmas and Damian) は、 1443年に初期イタリアルネサンスの巨匠フラ・アンジェリコが板上にテンペラ油彩で制作した絵画である。本来、『サン・マルコ祭壇画英語版』(サン・マルコ美術館) の裾絵 (プレデッラ) をなしていた9点のうちの1点[1][2][3]で、フィレンツェメディチ家守護聖人聖コスマスと聖ダミアヌス英語版[3]殉教を主題としている。作品は1882年に購入されて以来、パリルーヴル美術館に所蔵されている[1][2][3]

『聖コスマスと聖ダミアヌスの殉教』
フランス語: Le Martyre des saints Cosme et Damien
英語: The Beheading of Saints Cosmas and Damian
作者フラ・アンジェリコ
製作年1443年
種類板上にテンペラ
寸法37.3 cm × 46.1 cm (14.7 in × 18.1 in)
所蔵ルーヴル美術館パリ

作品

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本来の『サン・マルコ祭壇画英語版』 (サン・マルコ美術館、フィレンツェ) の全体復元図。下部に9点の裾絵があり、『聖コスマスと聖ダミアヌスの殉教』は右側から3番目に見える。

双生児のコスマスとダミアヌスは医者 (そのため、彼らはイタリア語で「医者 (メディチ)」を表すメディチ家の守護聖人となった) で、キリスト教徒獲得のため無料で医療を無料で施した。3世紀末に彼らは他の3兄弟とともに斬首され、殉教した[3]

本作に描かれている無残な光景は、トスカーナ地方の風景を思わせるなだらかな山並みに囲まれた城塞都市の門外に設定されている[3]。陽光の明るさと流血の氾濫の対比は、殉教場面の酷薄さをいっそう印象づけている。背後に直立する5本の糸杉は殉教者の人数と対応し、彼らの変容した姿、あるいは出来事の永遠の証人という趣を見せている[3]

本作は元来、『サン・マルコ祭壇画』の裾絵を構成していた9点のうちの1点で、右側から3番目に配置されていた。他の8点中4点は、ミュンヘンアルテ・ピナコテークにある『キリストの埋葬』、『総督リシウスの前の聖コスマスと聖ダミアヌス』、『救出された聖コスマスと聖ダミアヌス』、『磔にされ、石を投げられる聖コスマスと聖ダミアヌス』、ナショナル・ギャラリー (ワシントン) にある『聖コスマスと聖ダミアヌスによるパラディアの治癒』、ダブリンアイルランド国立美術館にある『死刑を宣告される聖コスマスと聖ダミアヌス』、サン・マルコ美術館にある『聖コスマスと聖ダミアヌスによるユスティニアヌスの治癒』と『聖コスマスと聖ダミアヌスの埋葬』である[1]

サン・マルコ祭壇画の裾絵

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脚注

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  1. ^ a b c The Churches of Florence and Siena”. The Churches of Florenceサイト (英語). 2024年6月17日閲覧。
  2. ^ a b Le Martyre des saints Cosme et Damien”. ルーヴル美術館公式サイト (フランス語). 2024年6月17日閲覧。
  3. ^ a b c d e f 『NHKルーブル美術館III 中世からルネサンスへ』、1985年、105頁。

参考文献

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外部リンク

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