耶律趙三(やりつ ちょうさん、生没年不詳)は、遼(契丹)の軍人。六院部夷離菫の耶律蒲古只の末裔。
はじめ宿直官となり、北面林牙に累進した。咸雍4年(1068年)、北院大王に任じられ、西南面招討使に転じた。太康年間、西北諸部で反乱が起こると、趙三でなければ平定できないと道宗に見込まれて、西北路招討使に任じられ、行軍都統を兼ねた。反乱を鎮圧すると、功績により再び北院大王となった。
趙三の娘は蕭忽古にとついだ。また趙三の甥に耶律那也があった。