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耶律欧里思
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耶律欧里思
(やりつ おうりし)は、
遼
(契丹)の人物。
遼の国初の南宰相。太祖元年(
907年
)、北宰相
蕭轄剌
とともに群臣を率いて
耶律阿保機
に天皇帝の尊号を奉り、
述律皇后
に地皇后の尊号を奉った。
耶律欧里斯とも書かれる。
耶律室魯
の子。
字
は留隠。祗候郎君・六院部司徒・郎君班詳穏・右皮室詳穏を歴任。
開泰
7年(
1018年
)、東平王
蕭排押
の下で
高麗
に対する征戦に従軍した。契丹軍は茶河・陀河の間で敗戦したが、欧里思はひとり自軍を保全して帰還し、
聖宗
の賞賛を受けた。最終官は西南面招討使。
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