耶律国留(やりつ こくりゅう、生没年不詳)は、(契丹)の詩人

経歴

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仲父隋国王耶律釈魯の玄孫で、于越耶律洼の庶孫にあたる。詩や文章を得意として、聖宗に重用された。妻の弟の妻の阿古が奴隷と密通して発覚し、女直に逃亡しようとした。国留が追いかけて奴隷を殺すと、阿古は自ら命を絶った。阿古の母は睿智太后に重用されており、太后に事を訴えたため、国留は処刑されることとなった。聖宗は国留を救うことができず、人を派遣して別れを告げさせ、死後のことを問わせた。国留は「陛下が臣の罪なきをあわれんでくださるなら、恩義は九泉を漏れでて、死してかつ朽ちることはないでしょう」と言って拝謝した。処刑された後、当時の人の多くは冤罪とみなした。

獄中で「兎賦」や「寤寐歌」を書いたことで世に知られた。

兄弟

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伝記資料

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