耶律古昱
経歴
編集北院林牙耶律突呂不の四世の孫にあたる。開泰年間、烏古敵烈部都監となった。部民の乱が起こると、枢密使耶律世良の下で乱を討ち、功績により西北部の鎮撫を命じられた。部民に植樹や牧畜を教え、数年たたないうちに、部民の多くは富をたくわえるようになった。中京大定府で乱が起こると、古昱は中京巡邏使に任命されて、反乱者をことごとく捕らえた。開泰4年(1015年)、聖宗が高麗に親征すると、古昱は黄皮室軍を率いて高麗軍を撃破し、御史中丞に累進した。まもなく開遠軍節度使となり、帰徳に駐屯した。太平7年(1027年)、北院大王となった。
子女
編集- 耶律宜新(北院大王)
- 耶律兀没(漢人行宮副部署)
伝記資料
編集- 『遼史』巻92 列伝第22