老川村
日本の千葉県夷隅郡にあった村
おいかわむら 老川村 | |
---|---|
廃止日 | 1954年10月5日 |
廃止理由 |
新設合併 大多喜町、老川村、西畑村、総元村、上瀑村 → 大多喜町 |
現在の自治体 | 大多喜町 |
廃止時点のデータ | |
国 | 日本 |
地方 | 関東地方 |
都道府県 | 千葉県 |
郡 | 夷隅郡 |
市町村コード | なし(導入前に廃止) |
面積 | 38.4 km2 |
総人口 |
2,580人 (国勢調査、) |
隣接自治体 |
夷隅郡:西畑村、上野村 市原郡:加茂村 君津郡:上総町 安房郡:小湊町、天津町 |
老川村役場 | |
所在地 | 千葉県夷隅郡老川村大字小田代 |
座標 | 北緯35度14分32秒 東経140度10分13秒 / 北緯35.24219度 東経140.17019度座標: 北緯35度14分32秒 東経140度10分13秒 / 北緯35.24219度 東経140.17019度 |
特記事項 |
面積・人口は合併時のもの。 隣接自治体は1954年10月1日当時のもの。 |
ウィキプロジェクト |
地理
編集歴史
編集村名は養老川の水源に位置することに由来する。
沿革
編集- 1889年(明治22年)4月1日 - 町村制施行に伴い大田代村、筒森村、面白村、小沢又村、粟又村、小田代村、葛藤村が合併して夷隅郡老川村が誕生する。
- 1889年 - 老川小学校が新設される。
- 1954年(昭和29年)10月5日 - 老川村は旧・大多喜町、西畑村、総元村、上瀑村とともに合併し大多喜町が発足。老川村は消滅。
変遷表
1868年 以前 |
明治22年 4月1日 |
昭和29年 10月5日 |
現在 | |
---|---|---|---|---|
葛藤村 | 老川村 | 大多喜町 | 大多喜町 | |
小田代村 | ||||
筒森村 | ||||
大田代村 | ||||
面白村 | ||||
小沢又村 | ||||
粟又村 |
人口・世帯
編集人口
編集総数 [単位: 人]
1891年(明治24年) | 1,973 |
1917年(大正 6年) | 2,459 |
1954年(昭和29年) | 2,582 |
世帯
編集総数 [単位: 世帯]
1954年(昭和29年) | 474 |
行政
編集- 村長 : 山口恒次
- 助役 : 水野伝一
- 収入役 : 田中三郎ェ門
- 議会議員数 : 16名