羽栗吉麻呂
羽栗 吉麻呂(はぐり の よしまろ)は、奈良時代の人物。姓はなし。
時代 | 奈良時代 |
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生誕 | 不明 |
死没 | 不明 |
氏族 | 無姓 |
子 | 翼、翔 |
経歴
編集羽栗氏(葉栗氏)は春日氏の一族で[1]、氏の名は山城国久世郡羽栗郷(現在の京都府久世郡久御山町佐山付近)の地名に因む[2]。
養老元年(717年)の第9次遣唐使で留学生・阿倍仲麻呂の傔人(従者)として渡唐する。翌養老2年(718年)遣唐使節の帰国に同行せず、仲麻呂と共に唐に留まる。その後、唐人女性と結婚し、唐で翼・翔の二子を儲ける。天平5年(733年)多治比広成が率いる第10次遣唐使が来唐し、阿倍仲麻呂はそのまま唐に留まったが、吉麻呂は息子らと共に帰国の途につき、天平6年(734年)無事帰国を果たした[3]。
天平8年(736年)に新羅に渡った第20次遣新羅使の使節が詠んだ和歌の中に『羽栗』作のものがあり、これが吉麻呂によるものであるとする説がある[要出典]。これが事実ならば、羽栗吉麻呂はこの遣新羅使にも加わっていたことになる。