義岡久延
義岡 久延(よしおか ひさのぶ)は、安土桃山時代の武将。島津氏の家臣。
時代 | 安土桃山時代 |
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生誕 | 永禄4年(1561年) |
死没 | 文禄4年4月14日(1595年5月23日) |
別名 | 蔵人(通称)、又二郎 |
戒名 | 保心一英禅定門 |
主君 | 島津義久 |
氏族 | 喜入氏、島津氏(伯州家)、義岡氏 |
父母 |
喜入季久、佐多忠将娘 島津忠俊 |
兄弟 | 喜入久道、久延、喜入久親、喜入忠続 |
妻 | 田代清盛娘 |
子 | 久達 |
略歴
編集永禄4年(1561年)、喜入季久の次男として誕生。しかし、島津宗家8代当主・島津久豊の五男・豊久の興した伯州家が、豊久の曾孫・忠俊(久延祖父の忠俊とは別人)が元亀2年(1571年)に戦死したことにより無嗣断絶となったため、島津義久の命により久延がその名跡を継ぐこととなった。
天正8年(1580年)、久延は養子先の島津姓から改め、義久の諱から一字を拝領し「義岡氏」を名乗るようになる。天正15年(1587年)、義久が上洛する際はその供をした。
出典
編集- 『本藩人物誌』 鹿児島県史料集(13)(鹿児島県史料刊行委員会)