美容体操
概要
編集英語では calisthenics あるいは fitness がほぼ相当する。 容姿の美しさを主眼とした身体運動は、古代ギリシャから行われていたといい[誰?]、しかし美容体操がその理論とともに広く行われるようになったのは第一次世界大戦ののち、欧米の美容師の提唱によるという[誰?]。
日本では、(早見君子 1927)によって欧米の体操法が紹介され、朝や寝る前に美容体操をするとよいとされた[1]。 ドイツ国の母親は子供に美容体操をすすめることが(池田林儀 1930)によって紹介させた。 朝日新聞の連載記事「明暗近代色:ペンのジプシーとカメラのルンペン」(東京朝日新聞社社会部・編 1931)においては、銀座の美容学校で美容体操を指導する様子が紹介されている。 『婦女界』(婦女界社 1930、江口隆哉 1934、宮操子 1937、崔承喜 1937)の記事においても美容体操が紹介されている。 日本において美容体操が広く行われるようになったのはテレビの普及し始める昭和時代からで、スポーツの普及、女性の洋服の定着などによって、美人の条件は、従前のいわゆる「柳腰」ではなく、均整の取れた身体、湾曲していない脚、形良く張った胸などであるとされた[要出典]。
1954年4月16日、NHKと郵政省簡易保険局が、『NHK美容体操』(竹腰美代子・小池幸)[2]の放送を開始した[3] [4]。作曲は平井康三郎が担当した[5]。
1960年代頃には、北米のテレビ番組"The Debbie Drake Show"で、テキサス州のデビー・ドレイクがフィットネスの伝道師としてデビューをした[6][7]。デビー・ドレイク関連のグッズや書籍も多く出版されるようになり、1963年には美容体操の書籍として日本語訳(デビー・ドレイク 1963)も出版された。
中国では、1986年に『美容体操』(刘美姿 1986)が発刊されている。
脚注
編集- ^ ポーラ化粧文化情報センター (2009年). “第14回 健康美を求めはじめた時代 〜昭和初期(戦前)II〜”. やさしい化粧文化史入門編. ポーラ・オルビス・ホールディングス. 2011年2月8日閲覧。 “簡単なストレッチ法が紹介され、寝る前や起床時に寝床の上でするとよいとしています。”
- ^ 美容体操 - NHK放送史
- ^ “NHKが美容体操の放送”. 昭和毎日. 毎日新聞社 (1954年4月16日). 2011年2月26日閲覧。
- ^ “NHKアーカイブスカタログ—テレビ番組放送記録+番組小史 1953〜2008”. NHKアーカイブス. 日本放送協会. 2011年2月26日閲覧。 “NHKと郵政省簡易保険局が、主婦のために始めた美容のための健康体操。”
- ^ NHK美容体操音源.
- ^ O'Connor, Austin (2010-11). “Celebrity Fitness Stars: Debbie Drake” (英語). AARP The Magazine (AARP) .
- ^ Weider, Ben (2011年1月24日). “Fitness guru Jack LaLanne's exercise legacy” (英語). CBC News. 2011年3月20日閲覧。
参考文献
編集- 早見君子『見違へる程美しくなる美容法と結髪』大興社、東京、1927年。全国書誌番号:47021019。
- 池田林儀「獨逸の母親がさせる子供の美容體操」『婦人倶楽部』第11巻第1号、大日本雄弁会講談社、1930年1月、261-263頁、全国書誌番号:00020869。
- 東京朝日新聞社社会部 編「五二、美容體操 美しい人間を作る屋上近代風景」『明暗近代色:ペンのジプシーとカメラのルンペン』赤炉閣書房、1931年、251-254頁。全国書誌番号:47022144。
- 婦女界社「美容衞生 姿態美を發揮する美容体操」『婦女界』第45巻第3号、婦女界出版社、1932年3月、327-336頁、全国書誌番号:00020851。
- 江口隆哉「育兒と衞生 舞踊テクニツクによる美容體操」『婦女界』第50巻第5号、婦女界出版社、1934年11月、402-407頁、全国書誌番号:00020851。
- 宮操子「姿態美を創る五分間美容體操」『婦女界』第55巻第6号、婦女界出版社、1937年6月、358-361頁、全国書誌番号:00020851。
- 崔承喜「脊を高くし姿を美しくする祕訣 〔三〕脊の高くなる美容體操」『婦女界』第56巻第4号、婦女界出版社、1937年10月、327-331頁、全国書誌番号:00020851。
- 邦正美『美容体操』大蔵出版、東京、1954年。OCLC 54548837。全国書誌番号:54010122。