纒向勝山古墳

奈良県桜井市の纒向古墳群に属する古墳

纒向勝山古墳(まきむくかつやまこふん)は、奈良県桜井市纒向古墳群に属する古墳2006年1月26日、纒向古墳群の一つとして国の史跡に指定された。

纒向勝山古墳
纒向古墳群の纒向勝山古墳(上)
国土交通省 国土地理院 地図・空中写真閲覧サービスの空中写真を基に作成)
所属 纒向古墳群
所在地 奈良県桜井市東田字勝山
位置 北緯34度32分50.7秒 東経135度50分5.2秒 / 北緯34.547417度 東経135.834778度 / 34.547417; 135.834778座標: 北緯34度32分50.7秒 東経135度50分5.2秒 / 北緯34.547417度 東経135.834778度 / 34.547417; 135.834778
形状 纒向型前方後円墳
規模 全長約115m
後円部径約70m、前方部長約45m、周濠幅約25m
築造時期 3世紀前期-後期[1]
被葬者 不明
史跡 国指定(纒向古墳群)
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概要

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  • 所在地:桜井市東田(ひがいだ)町字勝山
  • 埋葬者:不明
  • 築造時期:古墳時代前期初頭
  • 墳 形:前方後円墳葺石埴輪なし)
  • 規 模:全長約115メートル、後円部径約70メートル、前方部長約45メートル、くびれ部幅26メートル[1]、後円部の高さ約7メートル。周濠幅約25メートル[1]
     
    勝山古墳
  • 埋葬施設:未調査のため詳細不明。
  • 出土遺物:主として周濠部より出土。

年輪年代測定

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  • 2001年(平成13年)5月30日。第4次調査において周濠くびれ部埋土中より検出されたヒノキ板材を奈良文化財研究所埋蔵文化財センターにて年輪年代測定の結果、伐採年代は、新しく見積もっても西暦210年頃と推定されることが判明する。ただしこれは伐採時の年代であり、その後の築造との関連や材の使用・投棄の時期との関連が不明である[2]
  • 年輪年代測定以前は、周濠跡からの布留0式土器の出土により土器編年を利用し年代基準を決定していた。土器編年による年代は西暦300年前後。
  • 同じく周濠跡からは布留0式よりも旧い庄内2式期土器が出土している。土器編年による年代は3世紀前半。ただしこれも周濠跡からの出土のため築造時期の決め手に欠いている[2]

埋葬者

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新聞の掲載によると、卑弥呼の父 → 曾祖父 の墓ではないかという説があがっている[誰によって?]

脚注

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  1. ^ a b c 纒向遺跡ってどんな遺跡?”. 桜井市纒向学研究センター. 2013年5月4日閲覧。
  2. ^ a b 纏向遺跡内に所在する主な古墳 -勝山古墳”. 桜井市纏向学研究センター. 2018年8月31日閲覧。

関連項目

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外部リンク

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