織田秀賢

大和柳本藩の第8代藩主

織田 秀賢(おだ ひでかた)は、江戸時代中期の大名大和国柳本藩の第8代藩主。通称は安次郎。官位従五位下信濃守安房守出羽守。尚長流織田家8代。

 
織田秀賢
時代 江戸時代中期
生誕 享保13年8月4日1728年9月7日
死没 天明4年11月16日1784年12月27日
別名 通称:安次郎
戒名 円証院殿覚翁義正大居士
墓所 東京都渋谷区祥雲寺
官位 従五位下信濃守安房守出羽守
幕府 江戸幕府
主君 徳川吉宗家重家治
大和柳本藩
氏族 織田氏(長益系尚長流)
父母 織田信方:側室
養母土方豊義娘・春光院
兄弟 秀賢長賢長恒、旭仙院ら7男4女
正室:なし
秀綿秀寧、三淵純之丞、水野元休室、日向正肥室、多賀高賢室ら9男8女
養子:長恒
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生涯

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第7代藩主・織田信方の長男として柳本にて誕生。

寛保元年(1741年)10月12日、父・信方の死去により、家督を相続する。寛保3年(1743年)11月1日、8代将軍・徳川吉宗御目見する。延享元年(1744年)12月16日、従五位下信濃守に叙任する。宝暦13年(1763年)8月26日に隠居し、弟で養子の長恒に家督を譲る。

天明4年(1784年)11月16日、死去。享年57。墓所は祥雲寺。法号は円証院殿覚翁義正大居士。

系譜

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子女は9男8女。