織田東禹
明治時代から昭和時代にかけての洋画家、石版画家
織田 東禹(おだ とうう、1873年(明治6年)9月20日 - 1933年(昭和8年)5月24日)は、明治時代から昭和時代にかけての洋画家、石版画家。
略歴
編集東京に織田信徳の次男として生まれる。本名は明(さとし)[1]。弟に織田一磨がいる。金子政次郎に石版画を学び、後に大阪に移り、大阪毎日新聞社に入社した。これ以降大阪に住み美術界の重鎮として、文展、帝展、院展において入選を果たした。1904年の日露戦争に際し従軍画家となった。また、勧業博覧会工芸部の審査員を務めた。享年61。
作品
編集- 「コロボックルの村」水彩画 明治40年(1907年)
- 「舟大工(堀切付近)」 水彩画 明治41年(1908年)
脚注
編集- ^ 館長のおススメ―3月の一品 織田一磨《本郷龍岡町》 和歌山県立近代美術館
参考文献
編集- 日外アソシエーツ編 『20世紀日本人名事典』 日外アソシエーツ、2004年