織田信直 (旗本)
江戸時代の旗本
織田 信直(おだ のぶなお)は、江戸時代中期の旗本。通称は専次郎、大膳。官位は従五位下・侍従、能登守。
時代 | 江戸時代中期 |
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生誕 | 享保17年(1732年) |
死没 | 寛政7年9月26日(1795年11月7日) |
別名 | 通称:専次郎、大膳 |
官位 | 従五位下・侍従、能登守 |
幕府 | 江戸幕府 |
主君 | 徳川家重→家治→家斉 |
氏族 | 織田氏(弥十郎家(信包系信当流)→信高流高家) |
父母 | 父:織田信義、養父:織田信倉 |
兄弟 |
成瀬正常、信直、信昆、大河内政良 養兄弟:信寛、信彭 |
妻 | 正室:蒔田広尊長女 |
子 | 信賢、長孺、松平忠温、本多正峯室 |
生涯
編集織田一門の大身旗本織田信義の次男として誕生し、高家旗本織田信倉の養子となった。
宝暦2年(1752年)12月26日、家督を相続した。天明4年(1784年)7月12日、高家職に就任し、従五位下・侍従・能登守に叙任された。
なお、家臣の加藤右門は、寛政元年(1789年)より享和2年(1802年)まで高倉家衣紋会の江戸会頭の一人を務めた[1]。幕府の儀礼に際しての正式な装束を調えるため、公家で衣紋の権威であった高倉家の門人になる武士は少なくなく、江戸の会頭たちは江戸の門人と京都の高倉家との連絡調整を担うとともに、会頭を通さないと入門できないという権力を持っていた[2]。
系譜
編集子女は3男1女。
脚注
編集参考文献
編集井上容子 著「衣紋会の組織と活動について: 近世中後期の高倉家衣紋会を中心として」、久留島浩; 吉田伸之 編『近世の社会集団: 由緒と言説』山川出版社、1995年、115–52頁。