織田信氏
日本の戦国時代の武将。織田禅正忠家(織田信長・織田信雄)の家臣。戦国大名織田信長妹婿織田信直長男で、織田藤左衛門家7代当主。祖父より家督を継いで小田井城主を勤めた
織田 信氏(おだ のぶうじ)は、戦国時代・安土桃山時代の武将。織田氏一族で織田藤左衛門家。織田信直の嫡男。幼名は竹千代。通称は角蔵。於田井城主。
時代 | 戦国時代 - 安土桃山時代 |
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生誕 | 生年不詳 |
死没 |
天正12年6月2日(1584年7月9日) または天正13年6月3日(1585年6月30日)[1] |
改名 | 竹千代、織田信氏 |
別名 | 通称:角蔵 |
戒名 | 湖雲水鑒 |
主君 | 織田信長→信雄 |
氏族 | 織田氏 |
父母 | 父:織田信直 母:栄輪院(織田信秀の六女) |
兄弟 | 信氏、忠辰 |
子 | 某、津田清幽 |
特記 事項 | 清洲三奉行、織田藤左衛門家、小田井織田氏 |
略歴
編集母の小田井殿(栄輪院)は織田信秀の六女で、織田信長は伯父にあたる。
天正2年(1574年)9月、伊勢長島で父の信直が29歳で討ち死にし、後を継いで小田井城主となった。翌年、父の死の償いとして小田井に3万6,000貫の知行を得た。
天正9年(1581年)2月の京都御馬揃えでは連枝衆として参加した。
天正10年(1582年)の本能寺の変後は、織田一族を束ねた織田信雄に属したが、天正12年(1584年)6月2日、祖父の信張よりも先に死去した[1]。
脚注
編集参考文献
編集- 谷口克広; 高木昭作(監修)『織田信長家臣人名辞典』吉川弘文館、1995年、100頁。ISBN 4642027432。
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