織田 信次(おだ のぶつぐ)は、江戸時代前期の人物。弟に織田貞置

 
織田 信次
時代 江戸時代前期
生誕 慶長18年(1613年
死没 元禄4年9月11日1691年10月31日
改名 藤四郎(幼名)→信次
別名 号:新斎
氏族 織田氏
父母 父:織田信貞、母:不詳
兄弟 信次貞置、女(織田重治室、後に離縁し、壬生忠利室)、女(笹治大膳室)
織田貞幹、娘(梵叟の妻)[1]、娘(埴原金左衛門の妻)[2]
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生涯

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織田信貞の長男として誕生した。幼名は藤四郎。病気のため跡は継げなかった[1]。息子の貞幹は弟・貞置の養子となり、尾張藩家老となった[3]

元禄4年(1691年)に79歳で死去[2]

脚注

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  1. ^ a b 寛政重修諸家譜』第3輯 p.573、巻第四百九十一
  2. ^ a b 『系図纂要』画像表示 - SHIPS Image Viewer”. clioimg.hi.u-tokyo.ac.jp. 2021年1月31日閲覧。
  3. ^ 寛政重修諸家譜』第3輯 p.574、巻第四百九十一